数年前、僕はひとつの執着を手放した。
それは――
「どれだけ古典を知っているか」で自分の価値を測ること。
誤解しないでほしい。
古典を極める人を、僕は心から尊敬している。
それは音楽家として、正統で王道で、間違いなく尊い道だ。
でも僕は、そこに安住しないと決めた。
音楽家が古典を学ぶことは正しい。でも、それだけでは足りない
僕はこれまで、好きなギタリストに憧れ、その人のようになりたいと練習してきた。
音楽の世界は、ほぼすべてがそうだ。
過去の名演、作曲、録音技術、機材の歴史。
先人が積み上げたものを学ぶことは、遠回りを避ける最短ルートでもある。
若い頃のレッスンでも、僕はこう伝えていた。
「上を目指せ」
「本物を知れ」
「歴史を理解しろ」
それは今も正しい。
多くの失敗は、
“すでに答えがあることを知らずに、自分で実験・創作してしまう”ことだから。
でも、気づいた。
その道を歩き続けている限り、
僕は一生“追う側”から抜けられないかもしれない。
音楽家がイノベーションを起こす場所は未発達な領域だ
30年前、インターネットに早くベットした人はどうなったか。
答えは明白だ。
まだ誰も本気で信じていなかったときに動いた人間が抜いた。
音楽も同じ構造だ。
流行が安定し、評価基準が固まった世界に後から参入しても、
そこにいるのは“うまい人”。
でも、
誰もまだ形にしていない領域に踏み込んだ人は、
ジャンルそのものを作る。
どちらを選ぶか。
音楽家にとって古典は土台だが目的地ではない
スタジオやサポートの世界では、
- どれだけ過去の名作を知っているか
- どれだけ正確に再現できるか
- どれだけ歴史や加工を理解しているか
そこに価値が生まれる。
それは否定しない。
でも、それ“だけ”をやり続けるとどうなるか。
終わらない。
過去は無限だ。
全部を学び切る日は来ない。
気づいたとき、僕は思った。
これは一生準備を続けるラットレースかもしれない。
それでいいのか?
ギターはアイコンか、それとも武器か

ストラトを持てば「ジョン・メイヤー?」
SGでスライドすれば「デレク・トラックス?」
ギターはアイコンになる。
好みも思想も透ける。
でも今の僕はこう考えている。
ギターは過去への敬意を示す道具ではなく、未来を切り開く武器だ。
例えば、僕は今ヘッドレスの少し変わったギターを使っている。
それだけで覚えられる。
「あの変なギターの人」
名刺より速い。
営業より自然だ。
人見知りでも、会話は始まる。
ただし――
中身が伴わなければ一瞬で終わる。
奇抜さだけでは意味がない。
実力がある人間が、自分を押し出す準備ができたときにこそ意味がある。
誰がやるか、どこでやるか

同じことをやっても結果は変わる。
- 誰が
- どこで
- 誰に向けて
残酷だが事実だ。
もちろん、子どもが古典を深く知っていたら大人は驚く。
美しい人がやれば一瞬で注目も集まる。
でも、それはコントロールできない。
僕らがコントロールできるのは、
どの領域で勝負するかだ。
未開拓に踏み込めば、答えは早く出る。
勝敗も早い。
負けが早くわかるなら道を変える選択ができる。
そのほうが、よほど健全だと今は思っている。
音楽家に必要な自立と覚醒という選択
古典を捨てろとは言わない。
学べ。吸収しろ。敬意を払え。
でも、そこで止まるな。
模倣はスタート地点だ。
目的地じゃない。
僕は数年前、自分の道の“先頭に立つ”と決めた。
安全に好かれる道より、
自分の物語を作る道を選ぶ。
あなたはどうする?
一生、誰かの延長線上で生きるか。
それとも、まだ誰も踏み込んでいない場所に旗を立てるか。
正解はない。
でも、選ばなければ何も始まらない。
今日、踏み出すかどうか。
それが分かれ目だ。
僕は踏み出した。
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